vol.01

経王寺勉強会
[仏壇仏具の意義]

仏具のデザイン研究所の勉強会が、平成25年12月26日に東京新宿区の経王寺で開かれました。その模様を前編と後編に分けてお伝えします。経王寺は、互井観章さんが住職を務める日蓮宗の寺院です。今回の勉強会では、はじめに互井住職から仏壇仏具についてのお考えを語っていただきました。前編では、そのお話を掲載します。

経王寺本堂
経王寺本堂

仏さまの世界を演出するさまざまな工夫

今日は仏壇と仏具、特に仏壇について私が思っていることを、ありのままにお話したいと考えています。よろしくお願いします。

一番初めに「仏壇は何のためにあるのか」ということをおさえておきたいと思います。まず仏壇は、ご本尊というものを祀るためにあります。そして、ご先祖を祀るためにあります。宗派によって違う考えもあるかもしれませんが、私はこの二つを祀ることが仏壇の大きな役割だと思います。

さてそれでは、ご本尊とは何なのでしょうか。今、皆さんいらっしゃるのは、お寺の本堂の中ですね。入り口から見て正面の奥の真ん中、高い位置に飾られているのがご本尊である仏さまです。うちは日蓮宗なので、日蓮宗のご本尊を祀っています。日本には仏教の色々な宗派がありますけれども、どの宗派でも本堂にはその宗派のご本尊である仏さまを祀っていると思います。

では、ご本尊を祀るというのは、いったいどういうことでしょうか。ご本尊を祀るということは、仏さまの浄土、つまり仏さまの世界がそこにあるということです。ご本尊を祀ればどこでも浄土になるのかと言えば、本当はそうあるべきだと思います。しかし、建物もなく、さまざまな飾りもなく、何もない場所にご本尊があっただけでは、なかなか仏の世界をイメージしづらいと思います。

そこで、本堂の中に特別な仕掛けをします。普段見ないような色々な飾りをした空間を作り、そこに特別な香りを漂わせ、特別な灯りがともし、仏さまの世界を演出しているわけです。バーチャル空間を作り出しているとも言えます。つまり、お祀りしたご本尊を中心に、色々なものを使って、仏さまの浄土と見立てる仕組みを凝らしてあるのが、このお寺の本堂なのです。

住職の話を聞く勉強会参加者たちの後ろに経王寺のご本尊が祀られている
住職の話を聞く勉強会参加者たちの後ろに経王寺のご本尊が祀られている

仏さまと話をするための通信機器

そのご本尊の手前の一段高くなっているところに私たち僧侶が座り、ご本尊に向かってお経を上げます。そして、さらに手前の方に檀家さんやお参りの方が座ります。私たち僧侶は何のためお経を上げているかというと、檀家さんやお参りの方々の気持ちを、ご本尊に伝えるためです。するとご本尊からも、「ありがとう」などの色々な言葉が返ってきますので、それをこちらへ伝えます。

こちらから側から、仏さまや仏さまの浄土に対して気持ちを伝え、仏さまや仏さまの浄土から届いた言葉をこちら側へ伝える。ですから私は、仏さまの世界とこちら側のやりとりを仲介するメッセンジャーの役割をしていることになります。

さらに本堂にはご先祖も祀っています。ご先祖の場合も同じことで、こちら側にいる人たちの気持ちを、私を通してご先祖に伝え、ご先祖が言いたいことを、私を通して皆さんに伝えています。

お寺の本堂はそのやりとりをするためにありますし、さまざまな飾りや仏具は、その機能を果たすためにあります。そして仏壇は、その機能を家庭に持ち込むために考え出されたものです。お寺の本堂をミニチュア化して家庭に置けるようにしたのが仏壇です。ですから仏壇というのは、私の言い方では通信機器のようなものになります。仏さまや仏さまの世界、あるいはご先祖と、皆さんが話をするための通信機器です。

仏壇の購入と置き場所

経王寺の互井観章住職
経王寺の互井観章住職

以上が「仏壇は何のためにあるのか」というお話でした。では、ここからは仏壇や仏具について、私が日頃から思っていることや、考えていることをお話します。

今でも、70〜80歳よりも上の年齢の方々は仏壇に対しての思いが強く、置き場所を少し動かすのでさえ嫌がります。買い換えるのもちょっとためらう、という方が多いですが、40〜50歳くらいになると仏壇を移動したいとか、新しく買いたいと思われる方もけっこういらっしゃいます。それで相談を受けることがよくあります。新しく仏壇買われる場合、今でも意外にオーソドックスな仏壇を買われるケースが多いですね。

私は、「仏壇を買うので一緒に来てもらえませんか」と言われて同行することがあります。すると、はじめは家具調の仏壇を見て「とても素敵ですね」などと言っていますが、結局オーソドックスな仏壇を買う人が多いです。どうして家具調のものを買わないのか、何人かの人に聞いたことがありますが「なんとなく、ありがたくない」とおっしゃっていました。

ただ、木目調の仏壇を好まれる方が多い印象はあります。私が同行した場合に、たまたま多かっただけかもしれませんが、黒檀や紫檀などよりも、木目調の仏壇の方がナチュラルな感じがして惹かれるようです。

そして、「仏壇を買いましたからお経をあげてください」と頼まれてお宅を訪問すると、私の感覚では「不自然だな」と思われるような場所に仏壇が置いてあることが増えてきました。

昔の家には、仏間など仏壇を置く場所がありましが、今の家は、そういう場所を全部省いてあります。床の間がある家は今でも比較的多いですが、床の間がある部屋が仏壇を置けるようになっている家は少ないです。最近新しく建てた家の場合、仏壇を置くこと考えて設計されているケースはほとんどないのではないでしょうか。

そのため、仏壇の存在に周囲との違和感を覚えてしまうのが現状です。特に新築の家の場合はそうですね。ですから家具の上に置くようなものがいいとか、家具調のものがいいとか、そういうことになります。しかし私の知る限りでは、家具調のものを買う人は非常に少ないです。

仏壇仏具の価値

住職の話に熱心に耳を傾ける勉強会参加者
住職の話に熱心に耳を傾ける勉強会参加者

家具と仏壇を較べたらいけないかもしれませんが、消費者からみたらやはり仏壇は一般的な家具に較べて高いという印象があると思います。それに適正価格がよくわからない。

「いい仏壇だな」と思ったら40万円とか60万円とかして、中の飾りものを入れると80万円になってしまう。「高いな、どうしようかな」と思っていると、店員さんが「だいじょうぶですよ、値引きしますから」と言って10万円から20万円くらいズバッと値引いてくれます。

10万とか20万をすぐに値引くというのは、他の商品と較べたらすごい話です。値引いてくれるのはありがたいとは思いますが、そんなに値引きをされてしまうと「本当はいったいいくらなんだろう」という話にもなってきます。適正価格はいくらなのかわかりません。

このお寺にある仏具も非常に高価ですが、しかしだからと言って、適正価格ではないということにはなりません。たとえば、そこに置いてあるお経箱は昭和6年に奉納されものですが、今でも毎日使っています。おそらくもの凄く高価だったと思います。今買ったら何十万円でしょうか。下の台も入れると100万円を超えるでしょうか。高いとは思いますが、昭和6年からこの平成の25年までずっと使っていることを考えると、それほど高くないとも思います。ですから、仏具の値段の基準は私もよくわからないです。

ただし、一般の消費者にとって何十万という金額は大きな金額であることは間違いないでしょう。その金額を出しても、ご本尊を中心にして仏さまの浄土を感じられたり、ご先祖を感じられる仕組みがうまくできていれば、その価値は十分にあると思います。しかし、その仕組みがあまりうまくできてないのが現状のような気がしています。仏壇を通して仏さまの浄土を感じていただくとか、ご先祖と通信するための場所なんだとか、そういった感覚をどうも持ちにくいように思います。

お寺の本堂と家庭の仏壇の違い

先ほど説明した、お寺の本堂と家庭の仏壇の関係を逆に言えば「お寺の本堂全体が家庭の仏壇である」ということになります。ところが、家庭の仏壇の中に私たちは入れないですね。お寺なら本堂の中に入れるのですが、仏壇の中には入れない。つまり、お寺の本堂の場合は仏さまと一緒に浄土世界に入っている感じになれますが、家庭の場合はどうしても外から見ている感じになってしまいます。

仏壇では「仏さまのいらっしゃる世界に自分たちも一緒にいる」という感覚になりにくいので、家庭では仏壇を通して仏の浄土を感じるのが難しくなっているのではないでしょうか。そのため、仏壇にご本尊を安置して祈り「仏さまとの通信を行う」という気持ちになりにくいのではないかと考えています。結果的に仏壇は、ご先祖の位牌を置いておく場所、という意識が強くなってしまっているように思います。お寺の本堂と同じように、仏壇でも仏さまの浄土が感じられるような仕組みができるといいなと思います。

ちなみに日蓮宗のご本尊は、法華経というお経の中の世界を表しています。空中に仏さまがたくさん並んで浮いていて、空中で仏さまがお説法をしている。そして、それを私たちも同じ空中に上がって聞いている。実は、その場面を、この寺の本堂では作りだそうとしています。仏さまのバーチャルな世界をここで具現化するという感じですね。

勉強会終了後には「仏具のデザイン研究所」のデザイナーによってデザインされた仏具の説明会も行われた
勉強会終了後には「仏具のデザイン研究所」のデザイナーによってデザインされた仏具の説明会も行われた

仏壇仏具の原点を見直したい

そういう演出は日蓮宗だけではなく、たとえば浄土真宗でも、西方浄土のある西側から射し込む陽の光を利用して演出を行ったりしています。大阪の浄土真宗のあるお寺には、本堂に快慶作の天井の届きそうなほどの大きな阿弥陀様が祀ってあります。そして、西に陽が沈んでいく時に、本堂に射し込んだ陽の光が床に反射して阿弥陀様のお顔に当たるという設計になっています。快慶作の阿弥陀様ですから鎌倉時代に作られたものだと思います。

このように、昔からご本尊に光がどうやって当たるかというようなことを考えて、本堂も仏像も作られていたわけですね。その時にどのように仏さまが見えるか計算し、光が入って仏さまの浄土の世界が感じられるような装置を考えて本堂も設計されていました。

仏像自体にも工夫があります。今、この経王寺の本堂には正面に仏さまが祀られていますが、さらに左右に同じ形の仏さまがお二方ずついらっしゃいます。その仏さまの像を作る時、仏師の方から「仏像を飾る場所の高さと、そこからお客さんたちがいる場所までの距離を教えほしい」と言われました。

なぜかと言うと、仏像の眼を作るために必要なことだからです。仏像の視線をどの距離で合わせられるようにするか決めなければならないのです。仏像と私たちには、視線が合う距離が必ずあります。その視線が会う場所を、お客さんたちが座る場所の中心くらいになるように作るそうです。良い仏像は、どこに視線を置くか、その距離を必ず考えて作られています。

そうして、仏像であるご本尊と眼があって見つめていると、ご本尊から声が聞こえてくるようにできているのがお寺の本堂です。これが家庭の仏壇でも実現できると一番いいと、私は思います。仏壇の中のご本尊を前にして、こちらが話しかけると、仏壇の中から声が返ってくるような、そんな仏壇があったらいいなと思います。でも、なかなかそういう仏壇はないですよね。

実を言うと、お寺の本堂も、最近はそこまで演出を考えて建てているところは少なくなっているかもしれません。そういうことをあまり気にしないご住職もいらっしゃるでしょうし、仏具屋さんの方もそこまでは考えなくなっているかもしれません。

しかし、だからこそ、もう一度お寺の本堂とか、仏具とか仏像とか、そしてもちろん家庭の仏壇もですが、そういったものはいったい何のために作られているのか考え直さなければいけないと思います。キーワードとしては「仏の浄土の具現化」です。それをどうやって今風に実現するか。今の技術とアイデアとデザインで、どういう風に実現していくのか。これからの課題ですね。

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